その程度の根拠で邪馬台国畿内説が決定的になる訳

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グループの調査で奈良県桜井市前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳の築造時期が240〜260年と推定されることが示された。

(墳墓を直接調査できないため断定は避けたのだろう)

その時期が「魏志倭人伝」による卑弥呼の死亡時期248年ごろに一致することから、この古墳が卑弥呼のものでることはほぼ間違えないということらしい。

しかし墓を造った時期が同時期というだけで何故決定的と言えるのか?3世紀中頃に死亡した有力者は卑弥呼だけではあるまい?

もっともな疑問だがポイントは正にそこ。

当時中国と日本は結びつきが強くそれゆえ日本の歴史が中国の「魏志倭人伝」に記述される。次の三段論法だ

1.箸墓古墳クラスの墓は相当な有力者/権力者のものであり、その死亡が「魏志倭人伝」に記述されない訳がない。

2.箸墓古墳の築造時期に一致する死亡記事は「卑弥呼」だけ。

3.ゆえに箸墓古墳卑弥呼の墓である。



考古学の落とし穴の一つに「証拠を合理的に説明でき、証拠と矛盾しない説」が正しいとは限らないというものがある。

考古学の場合「見つかっている証拠」より「見つかっていない証拠」の方が多いのだ。しかし「見つかっていない証拠」を根拠に説を唱えるのは無理がある。このあたりが考古学の限界、いやほとんどの学問の限界だろう。
だから長年「定説」とされた説がひっくり返されることがあるわけだ。