平和実現の道具としてのノーベル平和賞

合衆国大統領オバマ氏にノーベル平和賞が授与されることになった。
多くの人が「未だ何の実績も上げていないのに・・・」・・・もっともな意見だ。

ノーベル賞委員会の記者会見でも言っていたようだが、これはメッセージなのだ。



旧来、ノーベル賞は偉大な実績を上げた人に贈られた。しかし最近一部の平和賞については・・・露骨な言い方をすれば平和賞をエサにして平和を実現しよう・・・いや「エサ」は語弊がある。 「平和を実現したご褒美」ではなく「平和を実現するためのプレッシャー」にした、と言った方が適切か。


1994年、PLOアラファト議長イスラエルのラビン首相がノーベル平和賞を受賞したときも、そう思った。パレスチナ和平に同意したが、あくまでトップが合意しただけで和平を実現したわけではない。アラファトに至ってはテロを容認/支援したと考えられていた。

にも関わらず彼らに平和賞が授与されたのは「和平を実現しろ。ノーベル賞の顔にドロを塗るな」というメッセージだと思った。

(しかしラビンもアラファトも既に故人となり和平自体は今でもほとんど進展していない)



今回のオバマ氏の受賞もノーベル平和賞が「偉大な業績を称える賞」としてだけでなく、平和実現に積極的に関わるってゆこうとしているのだろう。

これが成功すれば・・・オバマ氏の核無き世界が実現すれば、積極的に関与したとしてノーベル賞の選考委員会自身が「ノーベル平和賞」を受賞することになるかもしれない。

「大事を成したご褒美」としての賞もあるが、「大事を成すための燃料」としての賞もある。

ノーベル平和賞に関しては、誰かが平和に貢献するのを待って、それを後から称えるのではなく、積極的に平和の実現に加勢しよういうこと。

このニュースは「オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した」というニュースだと思ってはいけない。
「ノーベル委員会はオバマ氏が唱える”核無き世界”を支持すると表明した」というニュースだと解するべきだ。