ガラパゴスと呼ばないで

 日本には昔(といっても昭和の時代)「トルコ風呂」と呼ばれる施設があった。本物の(トルコの、あるいは中東文化圏の)トルコ風呂は一種の公衆サウナ浴場のようなものだが、日本のそれは本物とはまったく別の性風俗営業の個室特殊浴場だった。海外にも知られていたらしく日本観光の目的の一つにTurkish bath(ターキッシュバス)を上げる西洋の観光客(男性)もいたようだ。
どうやら中東文化圏以外(西洋や東アジア)ではTurkish bath(トルコ風呂)は性風俗施設という偏ったイメージが定着していたふしがある。そしてその最先端には日本がいた。
1980年代の日本でトルコからの留学生が、このトルコ人にとって嬉しくない誤ったイメージを抱かせる「トルコ風呂」という呼び方を止めて欲しいと訴えた。この訴えはすぐに日本中にひろまり、さしたる障害もなく「トルコ風呂」は「ソープランド」と改名された。
 しかし、他人に指摘されるまで「トルコ風呂」という呼び方がトルコの人たちに不快な思いをさせていたであろうことに全く気づかなかったのは日本人としては恥ずべきことだろう。他人や他国民や他民族の気持ちを思いやることができないのは「長い間鎖国していた島国」「単一民族に近い寡占的民族構成」の日本のメンタリティなのだろうか。



 「痛いニュース」で知ったのだが、

 朝日新聞、ガラパゴス諸島住民に「日本でのガラパゴスの意味」をご注進…住民激怒「日本政府に抗議する」

 日本で「ガラパゴス」という言葉が負のイメージをもって「ガラパゴス携帯」や「ガラケー」いう言い回しで用いられていることに、ガラパゴス諸島とそれを有するエクアドルの人々の不興をかってしまったらしい。 「ガラパゴス携帯」や「ガラケー」なんて言葉を使うと、言われた側の心を思いやることの出来ない島国のメンタリティなどと言われてしまうのだろうか。